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03月05日(火)

神田川で分水路を眺めつつ、徳川家康に感謝する

東京都公園協会の「分水路と調節池見学ツアー」の抽選に当たり、先週行ってきました。以前ニュースで見た巨大な地下トンネルを見てみたかったのです。神田川水系の治水対策は江戸時代から連綿と続いているので、興味がありました。

神田川水系には日本橋川、神田川、善福寺川、妙正川などが含まれます。東京の西側、杉並区、中野区、練馬区など、水系の上流側に調節池が集中しており、都心の下流部は分水路という形になっています。これは、都心ではまとまった土地が取れないことや、地下を掘るにしても地下鉄網や配管が複雑で密に入り組んでいることから分水路で対応しているようです。

まず午前中は水上バスのカワセミで神田川に行き、分水路の説明を受けます。
神田川の水道橋付近や御茶ノ水あたりで、川に並行してぽっかり口を開けているのがこの分水路。これは、御茶ノ水と秋葉原の間の昌平橋の付近です。
写真 13-02-26 10 42 12

分水路というのは、治水施設の一つで、川幅を広げられない代わりに、川に沿って走る幹線道路の下を空洞にしてそこにも川の水を流すことで、増水を緩和するものです。神田川には4つの分水路がありますが、船から見られる分水路は、御茶ノ水分水路と水道橋分水路。外堀通りの下が分水路になっているんですね。

1971年に最初に完成した水道橋分水路以来、28年かけて、1999年に最後の分水路が出来ました。それが御茶ノ水分水路。御茶ノ水分水路は1.3キロの長さですが、総工費は290億円だそうです。1メートルに2200万円かかってるってすごいですね~。
写真 13-02-26 10 42 11

神田川クルーズでもいつも目にしている分水路。「あの中はどうなってるの?」とお客様に聞かれたこともあります。小さな船でこの分水路内に入る人やツアーも時々ありますね。講師の方は、分水路は一般船舶の航行用にできていないし、明かりも無いので大変危険だ、とおっしゃっていましたが。この部分は外からも見えるので少し安心?
写真 13-02-26 10 52 56

水の揺らぎが分水路の天井に映って、いい感じ。
写真 13-02-26 10 53 08

神田川の下流部、河口から日本橋川との交差点、三崎橋のあたりまでは、護岸の高さは同じに保っており、5.5メートル。神田川も川に背を向けた建物が護岸まで迫っている箇所が多いのが景観的に残念だと常々思っていました。こうなった理由は1959年の伊勢湾台風の後、急いで護岸を建設するのに、川沿いに遊歩道や並木などを作るための用地買収に時間をかけることができず、陸側はいじらずに川側に張り出す形で護岸を作ったからだそうです。

神田川流域は江戸時代からずっと洪水と戦ってきました。1590年頃、家康が江戸城に入ったころ、神田川や日本橋川はまだ無く、自然の川である平川と旧石神井川が江戸の海に流れ込んでいました。日比谷がまだ海に面していた時代。平川の文字の右下が江戸城の本丸です。
写真 13-03-05 12 27 10
(配布資料より)

日比谷入江を埋め立てるのに、平川の流れを東方向に変えたのが日本橋川。石神井川も東方向に付け替えて、今の浅草橋付近に河口が来るようにしたのが神田川。さらに、平川と石神井川をくっつけて、水害対策のため駿河台を深く掘って渓谷状にしたのが1620年代。今の神田川と日本橋川の原型が、このとき出来ました。現在繋がっている神田川と日本橋川ですが、当時は飯田橋から西北は埋め立てられていました。繋がったのは明治時代です。
写真 13-03-05 12 27 52
(配布資料より)

およそ400年前にこれだけの治水工事が行われ、その時変えられた川の流れに沿った地形の上に、今の東京が乗っかっているということ。家康の都市計画力ってすごいなぁ。

さて、午後からは巨大地下空間を訪れます。これは次回に。
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