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Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
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11月05日(月)

水害や公害を乗り越えて平穏な水域へ

過日、江東区内の旧中川や荒川周辺のウォーキングツアーに行きました。小名木川の東側や、旧中川の歴史をもう少し勉強して、ガイドネタを充実させないとね。

ツアーは都営新宿線の東大島駅からスタート。ここは、地下鉄の車両を搬入する口だそうです。白いカバーがかかっているところ。ここの地下が車庫にもなっているようです。搬入はめったにないそうですが、その日はどこからともなく鉄道マニアの人たちがわいて出てくるそうです。
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旧中川は、現在の荒川が明治~昭和にかけて開削されたことにより、分断されてしまった川です。墨田区の白髭神社近くの、木下川排水機場で上流が終わりになります。ちなみに現在の中川は、埼玉県の羽生から越谷を通り、葛飾区から江戸川区へ来て、東京湾に注いでいます。河口付近は、荒川と平行して流れています。

旧中川は、人工的に作ったものではありますが、石と草地をつかった護岸で、コンクリートむき出しではないのがよいところ。
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ここから小名木川に入り、近くの宝塔寺へ。ここには塩なめ地蔵というのがあり、お地蔵様の周りに沢山塩の袋が供えてあります。小名木川は、千葉県の行徳から安全に塩を運ぶ為に江戸時代の初めに開削された運河。塩商人がここにお参りをしたら、塩が完売するというご利益があったそうです。
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小名木川には江戸時代、蔵屋敷が立ち並んでいましたが、明治に入ってその跡地に化学肥料、小麦、砂糖などの工場が次々と出来ました。当時の物流はまだ舟運がメインだったので、川沿いのエリアは殖産興業にうってつけだったのです。また天然ガスも採れたので、これらによる地下水くみ上げで地盤沈下が進んでしまいました。最大で、約4.5メートルも沈んだそうです。

それにより水害の常襲地帯だったこのエリア、対策として現在は、排水機場から水を強制的に排出し、水位を-1メートルに保っています。それで、小名木川(扇橋閘門以東)、旧中川、北十間川、横十間川は、東京湾の潮の干満の影響を受けない、ほぼ水位が一定した水域となっています。そのため、水の流れもユルユルで、カヌーやカヤックなどの手漕ぎ船にはうってつけです。

ちょうど9~10月は、ハゼ釣りの季節。江東内部河川でも、ハゼ釣りをしている人がいます。
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塩の道橋からほど近い、上妙寺。ここは鬼子母神を祀っています。石碑には、お寺によくある書体で「南無妙法蓮華経」とありますが、この書体はヒゲ題目というそうで、仏様の衣の袖を表し、衆生を衣の下に集めて救うという意味があるそうです。お寺でよく見る書体ですが、初めて知りました。
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さて荒川へ出てきました。明治43年の大水害がきっかけで始まった放水路開削の大工事、20年かかって22キロを掘り、昭和5年に完成したその川幅の広さに、これが人の成した事だという現実に、圧倒されます。
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因みに明治の大水害は、6月末~8月に37日も雨が降り、その間に台風も襲来した結果中川が決壊し、葛飾区や江東区が飲み込まれたそうです。

現在の荒川は、一日に約100隻の船が航行しています。そのうち3分の1はオイルタンカーだそうです。タンカー1隻でタンクローリー車約30台分のガソリンが運べるということで、これもモーダルシフトの一環だとか。
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さて、ツアーは終点の、大島小松川公園へ。この場所は旧中川に交差する、新川という川が昔は流れていました。ちょうどこの付近のようです。
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新川と荒川との水位差を調整していた、小松川閘門の遺構があります。
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この閘門、大正14年(1925)に作られたもの。アールデコ建築ですね。今は、下部3分の2は土に埋まっています。当時の写真を見せてもらいましたが、閘門の閘室内に、和船がひしめき合っていて、活気を感じる風景でした。

この公園は、付近の化学品工場により六価クロムで汚染された土地を改良し、その上に土をかぶせて作られました。宅地開発によって汚染土が再び出てくるのを恐れたために、二度と掘り返されないよう、公共の施設にしているのだそうです。水害や公害に苦しみながら、やっと災害に強い、心和む水域を取り戻したこの地域の歴史。今はマンションが沢山建っていて、現在の姿からその苦難を想像するのは難しいですが、安心して暮らせる場所を勝ち取るまでの、長い歴史があったことを認識するよい機会となりました。
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