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Miho Sato

Author:Miho Sato
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10月10日(水)

復興のスピードを単純に比べちゃいけないんだけど...

上野の下町風俗資料館で開催中の特別展「関東大震災と復興の時代」に行って来ました。隅田川はもとより、神田川、日本橋川、小名木川などの内部河川に架かっている橋の多くは関東大震災直後に架け直された復興橋梁です。橋の復興のことも少しわかるかな、と思って。

写真 12-10-10 21 46 26
(チラシより)

1923(大正12)年9月1日に発生した、関東一円で死者・行方不明者が10万5千人を超えた大災害、そのうち9万人以上は火災による死者でした。家の倒壊で亡くなった方は1万1千人程度だったのだそうです。当時の東京市は、今の2倍も人口密度が高く、家は木造、しかも地震が起きたのがお昼時で食事の仕度の最中という状況で、またたくまに火が広がったとか。9月3日まで46時間も燃え続けたのだそうです。

驚いたのは、地震の起きた日の1週間前に内閣総理大臣が死亡しており、翌日2日に山本権兵衛内閣が成立したということ。そのわりには、今ほど情報伝達手段が発達していないのに、次から次へと緊急措置が取られ、新内閣で内務大臣となった後藤新平は、2日の夜には「帝都復興根本策」をまとめ、4日には仮設住宅(バラックだったそうですが)の開設に着手したというスピード。今と違って、大臣達が行政の内容を把握していて、いちいち官僚のご進講を受ける必要もなかったのかもしれませんね。

上野公園のバラックには1万人が暮らしていたそうです。亡くなった祖母は浅草に住んでおり、関東大震災の時に上野の山に逃げて、そこにしばらくいた、とよく話していたので、バラックに住んでいたのかもしれません。

復興事業は、土地の区画整理、道路や橋梁の補修や建設、公園整備、小学校建設、運河河川の改修や埋立、中央卸売市場の再建等が大きな柱だったようです。震災前まで日本橋にあった魚市場が築地に移転したのがこの時。
橋に関しては、国が隅田川六大橋を含む幹線道路を繋ぐ112橋の架橋や改修を担い、東京市がその他の380橋、東京府が多摩川の六郷橋と千住大橋と担当したそうです。すごい数ですよね。

木造の橋が多かったこともあり、燃え落ちた橋が多数だったようです。吾妻橋のように上の部分だけが鉄橋であっても下が木の橋、というのも結構あったようで、そういう橋も軒並み燃えて崩落しています。

隅田川六大橋(言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋、永代橋、相生橋)のはがきが額に入っていました。
写真 12-09-25 11 29 34

日本橋川、神田川、隅田川の沢山の橋をめぐる神田川クルーズでも、ざっくり3分の2は復興橋梁です。1925(大正14)年~1932(昭和7)年の間に架橋が集中しているのです。同年の架橋の橋が4つや5つ、というのも珍しくありません。その当時響いていたであろう槌音や工事に携わった人の数をなかなかクリアにイメージできませんが、恐らく大変な活気と混乱と騒音が現場に満ちていたのではないかと思います。

震災メモリアル手拭いも展示してありました。(写真をクリックすると文字も読めます)
写真 12-09-25 11 23 12

復興事業は約6年半で完成し、1930(昭和5)年には復興祭が行われたそうです。関東大震災と、昨年の東日本大震災の復興の状況を並べて論じるには無理があるでしょう。関東大震災は首都を襲ったもので中央のコントロール直下でしたし、壊滅した原因が火災と津波では復興の条件も違います。原発も当時は無かったし、今ほど内政・外交の問題が山積ではなかったのかもしれない。それでも被災地の今を見ていると、復興に関する政治の強烈なリーダーシップやビジョン、各省庁の連携や決断のスピードが大正~昭和初期の為政者に比べて見劣りしてしまいます。今回関東大震災の復興に関するデータや事実を新たに知ったことで益々そう思ってしまったのでした。
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