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Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
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03月28日(水)

知られざる?山手線の奥深い歴史

過日、山手線の歴史を聞く機会がありました。講師は、JR東日本建築設計事務所の方。中学から電車通学を始めて、殆ど毎日のように山手線に乗っていたけれど、全然知らないことばかり。大江戸線や大阪の環状線と違い、元々は環状線として計画されたわけではないのだそうです。いくつか「へぇ~」と思った事を。

・山手線の一番最初の駅は、品川(1872)
 日本発の鉄道は新橋-横浜なので、てっきり新橋だと思っていました。品川の4ヵ月後に新橋ができた
 そうです。しかも品川宿(今の京急北品川駅あたり)の住民の反対で、今の場所に駅が作られ、海の
 浅瀬を埋めて土手を作って線路を敷設した由。今は埋め立てられて面影はありませんが、海の上を列車
 が走っていたのですね。

・江戸時代の宿場町や門前町、農家が鉄道建設に反対したことが、現在の山手線の形に影響
 品川宿もそうですが、内藤新宿(今の新宿三丁目駅あたり)、渋谷、目黒(今の目黒不動)の住民が反対
 したので、そこを避けて鉄道が敷設されたのが、今の場所だそうです。当時の街の中心や盛り場を外した
 ことで、用地の取得が楽だったうえ、後年郊外への拡張が可能になり、例えば新宿は京王線や小田急線、
 渋谷や目黒は東急線が敷設される条件が整ったとのこと。反対して駅が出来なかった場所は今、往時の
 賑わいを留めている所は少ないのではないでしょうか。

・駅の由来はいろいろ
 恵比寿はビール出荷用、大崎は日清戦争の物資輸送、秋葉原は神田川の水運利用等、元々は貨物駅。
 高田馬場は早稲田の学生用、代々木は明治神宮造営に合わせて参詣用に。

・最後に残ったのは、上野-新橋間の鉄道敷設
 銀座や上野などの商業地は用地の取得が難しく、高架が検討され、今も残るレンガ橋が採用されました。
 レンガのほうが、安くて維持費も少なくて済み、国産材で可能、市街地の騒音も考慮して鉄橋にしな
 かったそうです。銀座の用地買収は無理ということで、明治政府の土地である外堀の内側を利用する
 ことにしたのですが、資金は丸の内一帯を岩崎家に売却して調達したとのこと。こうして東京駅が
 できました。山手線で4番目に新しい駅というのは意外。上野付近は、寛永寺から土地を売って
 もらったそうです。

東京は、江戸時代から100万人都市だったわけですから、明治維新後の近代化の過程で既に用地の取得や住民の反対運動があり、つぎはぎのように山手線の形が出来てきたのですね。言われてみれば当たり前の事なのですが、アメリカの大陸横断鉄道のように、何もない所を一気にガシガシと鉄道を作っていくようなイメージをつい抱いてしまうので、なるほど、と納得することが多かったです。日常的に使っている駅や街の成り立ちを知るのって面白いですね。

この講座の後は、神田川からよく見える旧万世橋駅跡を中心としたウォーキングツアー。この模様は次回に書きます。
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