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02月15日(水)

南三陸町ボランティアツアー(1) 町によって被災状況は違う

時間の取れるいまのうちに、もう少しやっておこうかな、と先週末2泊3日で、宮城県南三陸町へボランティアツアーに行きました。主催はNPO法人バタフライエフェクト。「バタフライ効果」とは、「蝶の羽ばたきのような微かな出来事が、やがて大きな事象となり影響を強めていく」という意味があるそうです。

この団体のツアーを選んだ理由は3つ。
・夜行バスではなかった。⇒腰痛持ちには夜行がつらく、着いてからの作業で身体が動かないと困る。
・被災した方のお話を伺ったり、町の方に被災箇所をガイドしてもらうプログラムがあった。
 ⇒実際に体験した方から直接お話を聞きたかった。
・ボランティア活動のメインは漁業支援だった。
 ⇒とーちゃんの実家の親戚が漁師で、帰省の折にコンブ漁を手伝うなど、漁業が身近で思い入れがある。
そして、これに参加して本当によかった、と思いました。

参加者は色々なところから来ていて、島根、鹿児島の屋久島、岐阜、兵庫、はてはオーストラリアからも。首都圏以外の方は、前泊、後泊を余儀なくされる日程にもかかわらず、遠くからの参加に頭が下がります。

初日の午後、南三陸町に到着。町の中心部に近づくにつれ、撤去されてまとめられた瓦礫の山や、原型を留めぬほどひしゃげた車の山が見えてきて、言葉を失います。先日訪れた山元町でも見たけれど、何度見ても胸がズキッとします。バスの車内にも緊張感が走っているのがわかります。

津波襲来の瞬間まで避難を呼びかけ続けた女性、遠藤さんのことで有名になった、防災庁舎。花や折鶴が手向けてありました。
写真 12-02-10 15 38 05

この屋上を超える津波が来た際、波を背中で受けたひとは、屋上の柵に身体を押し付けられて、柵を掴めたので助かったそうです。前から受けた人はそのまま飛んでしまい、流されていった由。こういう所にも運命の分かれ目があったのですね。この庁舎だけで33人ほどが亡くなられており、南三陸町の将来を担っていく、若手の職員の方の命が沢山失われたことが、町にとっては痛手になっているそうです。

場所を移して、山のほうにある、さんさん館という廃校の小学校を改造した宿のホールで、語り部の方のお話を聞きます。津波の前に潮が引いて、海底が見えたので高台に避難し、自分の家が流れて行くのを見守ったこと。「おめぇの家さ、どこ行ったんだべ?」「さぁ、今頃ハワイかカリフォルニアでねぇが?」と最近は言えるようになったそうです。

南三陸町や女川町などの小さい町が他と違うのは、官公庁、お店など重要なインフラが全て流された、ということ。買い物をするところもなく、プレハブのコンビニが今ははやっている由。電気や水道が使えるようになったのは8月末で、それまでは昭和30年代の暮らしで乗り切ったそうです。

ずしっと来た言葉。涙が出てしまいました。
「津波は全てを流したけれど、人間関係だけは流さなかった。生きてて良かったな、と言ってくれて遠くから訪ねてくれる人達がいる。私達は、これだけの犠牲を払って気づきを得たんです。本当の幸せは何かということを。私達は、こういう地震に見舞われる国に住んでいるということを。」

つらい体験をこうしてシェアしてくださったことに感謝すると同時に、話を聞いた者の使命はこれを語り伝えることだ、という気持ちになりました。

宿泊先は、地元の民宿、漁家民宿やすらぎ。8月末まで、避難所になっていました。津波を辛くも逃れたそうです。
写真 12-02-12 13 29 46

「震災で大したものが出せないけど、なるべく地の物を使ってるのよ」とお母さん。南三陸で取れる魚の焼き魚や、わかめなどが美味しいです。お米も宮城のひとめぼれ。翌日はワカメ養殖の補助作業ボランティア。これは次回書きます。
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