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Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
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10月03日(水)

室内にいても空を感じる音色。尺八ライブ+α

過日、両国に工房を持つ尺八製作の匠、松本さんの尺八ライブが、地元市川の自然派レストランGR8(グレイト)でありました。期間限定メニューの、市川の名産である梨を使った「梨ゴレン」をお腹に入れて、開始を待ちます。

尺八の起源は奈良時代まで遡るそうですが、鎌倉時代に禅宗の一派として伝来した普化宗(ふけしゅう)の僧が尺八を吹いて托鉢をするようになり、これが虚無僧となるのだそうです。江戸時代には虚無僧のみが尺八を演奏するものとされていたようです。

目をつぶって尺八の音色に耳を澄ませると、音の上に空が広がっていくような感覚にとらわれます。それも真っ青な空ではなく、風に雲が流れていく情景がいつも浮かぶのです。虚無僧が吹く楽器ということは、基本的には野外での演奏が前提。周囲の自然や、風になじむものなのかもしれません。船の上で吹いてもらうのにぴったりな楽器かも。

伝統的な虚無僧音楽だけでなく、「アメイジング・グレイス」や「赤とんぼ」の尺八バージョンも。哀愁を帯びながらも伸びやかな音色に、心癒されるひととき。

演奏が終わって、質問&説明タイム。尺八は一尺八寸(55センチ位?)の長さがあることから、尺八と言われるようになったそうです。
写真 12-09-23 23 19 36

松本さんが、穴の押さえ方を見せてくれます。
写真 12-09-23 23 06 26

明治以降、普化宗が廃止され虚無僧集団が解体となって、一般の人が尺八を嗜むようになり、以後民謡の演奏楽器としても盛んに使われるようになりました。虚無僧尺八と民謡尺八という大きな2つの流れが現在はあるようです。民謡は合いの手やコブシ回しなどがあるので、虚無僧尺八よりも「手が多い」=音数が多いのだそうです。

尺八は他の楽器と違い、自然の竹の根っこの部分をそのまま生かすもの。内部に漆が塗ってあるのと、藤が少し巻いてある以外、他の材を使いません。熱で無理やり曲げることもありません。「進化させるのではなく、元のものを洗練させる楽器」という松本さんの言葉に納得。
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ただ、尺八職人や演奏者がいても、尺八に合った竹を取る職人さんや、尺八製作に欠かせないヤスリを作る職人さんなどが高齢化し、後継者も少なく、職人さんがどんどん減っているのだそうです。松本さんもそこに危機感を抱いて、何をすべきか考えておられるようでした。尺八を取り巻く環境もそんなに厳しいとは…。文化の底辺を支えているのが誰なのか、生態系の中で考えないと見誤ってしまいますね。

演奏を聴くだけでなく、伝統文化の裏事情を知ることのできるライブ。もっと色んな人にこの機会を広めなくちゃいけないな、という思いがフツフツと心に湧き始めたのでした。
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10月10日(水)

復興のスピードを単純に比べちゃいけないんだけど...

上野の下町風俗資料館で開催中の特別展「関東大震災と復興の時代」に行って来ました。隅田川はもとより、神田川、日本橋川、小名木川などの内部河川に架かっている橋の多くは関東大震災直後に架け直された復興橋梁です。橋の復興のことも少しわかるかな、と思って。

写真 12-10-10 21 46 26
(チラシより)

1923(大正12)年9月1日に発生した、関東一円で死者・行方不明者が10万5千人を超えた大災害、そのうち9万人以上は火災による死者でした。家の倒壊で亡くなった方は1万1千人程度だったのだそうです。当時の東京市は、今の2倍も人口密度が高く、家は木造、しかも地震が起きたのがお昼時で食事の仕度の最中という状況で、またたくまに火が広がったとか。9月3日まで46時間も燃え続けたのだそうです。

驚いたのは、地震の起きた日の1週間前に内閣総理大臣が死亡しており、翌日2日に山本権兵衛内閣が成立したということ。そのわりには、今ほど情報伝達手段が発達していないのに、次から次へと緊急措置が取られ、新内閣で内務大臣となった後藤新平は、2日の夜には「帝都復興根本策」をまとめ、4日には仮設住宅(バラックだったそうですが)の開設に着手したというスピード。今と違って、大臣達が行政の内容を把握していて、いちいち官僚のご進講を受ける必要もなかったのかもしれませんね。

上野公園のバラックには1万人が暮らしていたそうです。亡くなった祖母は浅草に住んでおり、関東大震災の時に上野の山に逃げて、そこにしばらくいた、とよく話していたので、バラックに住んでいたのかもしれません。

復興事業は、土地の区画整理、道路や橋梁の補修や建設、公園整備、小学校建設、運河河川の改修や埋立、中央卸売市場の再建等が大きな柱だったようです。震災前まで日本橋にあった魚市場が築地に移転したのがこの時。
橋に関しては、国が隅田川六大橋を含む幹線道路を繋ぐ112橋の架橋や改修を担い、東京市がその他の380橋、東京府が多摩川の六郷橋と千住大橋と担当したそうです。すごい数ですよね。

木造の橋が多かったこともあり、燃え落ちた橋が多数だったようです。吾妻橋のように上の部分だけが鉄橋であっても下が木の橋、というのも結構あったようで、そういう橋も軒並み燃えて崩落しています。

隅田川六大橋(言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋、永代橋、相生橋)のはがきが額に入っていました。
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日本橋川、神田川、隅田川の沢山の橋をめぐる神田川クルーズでも、ざっくり3分の2は復興橋梁です。1925(大正14)年~1932(昭和7)年の間に架橋が集中しているのです。同年の架橋の橋が4つや5つ、というのも珍しくありません。その当時響いていたであろう槌音や工事に携わった人の数をなかなかクリアにイメージできませんが、恐らく大変な活気と混乱と騒音が現場に満ちていたのではないかと思います。

震災メモリアル手拭いも展示してありました。(写真をクリックすると文字も読めます)
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復興事業は約6年半で完成し、1930(昭和5)年には復興祭が行われたそうです。関東大震災と、昨年の東日本大震災の復興の状況を並べて論じるには無理があるでしょう。関東大震災は首都を襲ったもので中央のコントロール直下でしたし、壊滅した原因が火災と津波では復興の条件も違います。原発も当時は無かったし、今ほど内政・外交の問題が山積ではなかったのかもしれない。それでも被災地の今を見ていると、復興に関する政治の強烈なリーダーシップやビジョン、各省庁の連携や決断のスピードが大正~昭和初期の為政者に比べて見劣りしてしまいます。今回関東大震災の復興に関するデータや事実を新たに知ったことで益々そう思ってしまったのでした。
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10月16日(火)

東京駅丸の内駅舎の復原がなんだか嬉しくて

10月1日に復原された東京駅の丸の内駅舎がオープンしました。中央駅の風格を放つ東京駅がずっと好きだった私、その日の夕方に寄ってみました。ちょうどライトアップが始まったところ。駅舎前はすごい人出です。行幸通りの信号の所も写真を撮る人で一杯でした。
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上から眺めようと、新丸ビル7階のテラスへ。ここ、前は空いていたのに、今日は人で一杯。撮影スポットになっているようでした。とはいえ、撮り終わったら空くスペースに変わりばんこで入るような感じで、私もなんとかiphoneで写真撮影。後方に見える八重洲側のビルがちょと明るすぎるなぁ、と思ったけれど、幅300メートル以上の駅舎は壮観です。
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欧州の駅も、各都市の中央駅を中心に、古くて素敵な駅舎が沢山ありますが、あちらは駅舎に対して、レールが垂直に敷かれている構造がメインということもあるのか、東京駅ほどの幅はありません。

小腹が空いたのと、東京駅に祝杯を、ということで、そのまま新丸ビル地下のベーカリーカフェ、ポワンエリーニュへ。ここは、夜は300円のチャージを取られますが、6種類のアミューズが付くので(お通しですね)それをつまみにワインを一杯。

さて、次は駅舎をゆっくり近くで眺めます。薄汚れていた既存部分もすっかりキレイになってます。中央の車寄せの中には入れないけれど、松の木と、孔雀の羽を広げたような意匠の扉の美しさはそのまま。
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南北のドーム、外側の威容に対して、中は優美な色使い。干支を示すレリーフが付いています。でも、上に張ってあるネットが余計だけど…。落下防止なのか、鳩対策なのか。せめて透明とか、天井の色に近いネットを採用してほしかったですね~。
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しかし駅という、日常的に使われて、誰でも入れる公共空間がこれだけ注目を集めるのはスゴイことです。スカイツリーのそれとは様相が異なるというか。単なる目新しさとか、入場料がいらない、という事よりも、帝都の顔としての東京駅に対する、明治~大正時代の人々の力の込めようや誇りが今ここに再現され、そのオーラに惹かれているような感じがします。
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駅舎の佇まいが好き、ということに加え、東京駅は私にとって、中学・高校の通学で毎日乗り換え、その後も通勤の拠点となっていた馴染みの場所。そして飛行機より電車の旅が好きな自分にとっては、「ここから旅が始まる」ワクワクを掻き立ててくれる場所。ステーションホテルのバーも昔、会社のおじさん達に連れてきてもらったっけなぁ。そんな東京駅が、これだけ人々に注目され、その壮麗さを愛でられる存在になった、ということがなんだかとても嬉しくて。その後も事あるごとにわざわざ寄り道して東京駅に行っています。

500億円かけて復原したのは、空中権の販売という新たな手法で資金調達が出来たこともあるけれど、何より「これは残さなくては」と思わせるだけの存在感と美しさが元の建築に備わっていたからですよね。美しいデザインは何より雄弁なのだなぁ、と思います。

この間ステーションギャラリーに行って、昔の遺構をまた感じてきたし、次はステーションホテルに泊まりたいです~。その前に、落ち着いたころを見計らってホテルのバー、オークかカメリアでまず一杯やりましょうかね。
東京駅のマーケティングの狙い通りに引っかかっているカモみたいなものでしょうが、好きなものは好きですから!

おまけ。
この復原工事の過程については、鹿島建設のウェブサイトに詳しく載ってます。
http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/index-j.html
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10月19日(金)

船で天神様にお参りに行けちゃう特別な数日間

「墨田区・江東区の観光連携に資する船着場活用の社会実験」なるものが、今年8~11月まで4期に分けて行われています。墨田区と江東区、特に江東区は江戸時代にはベニスを凌ぐ水の都だったところ。埋め立てられた堀は随分ありますが、現在も残っている内部河川には、過去水上バスが運航されたこともあり、その船着場を再利用した防災桟橋が幾つもあります。スカイツリー開業を契機に、平常時の防災桟橋の観光利用促進を検討するもの。

お世話になっている東京湾クルージングも第3期に参加します。来週、10月25日と27、28日に亀戸リバーアイランドクルーズが実施されます。私達もお手伝いの予定。小名木川~横十間川~北十間川~旧中川の4つの水路を探訪します。1周約90分を通しで乗ることもできますが、普段は使えない4つの防災桟橋を乗り降りできるのもいいですね。(運航ダイヤ等詳細は、このブログのお知らせ欄のリバーアイランドクルーズの画像をクリックしてください)

今回利用する天神橋の桟橋、JR亀戸駅から行くよりも亀戸天神にずっと近いです。神社の参詣に船で向かうってちょっと粋な感じ。昔は当たり前のことだったんですよね。ちょうど10月25日は、天神様ご鎮座350年例大祭。菊祭りも21日から始まります。

去年の菊祭りはこんな感じでした。
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そして今年は、350年記念の特別宝物展が行われています。どんなお宝があるんだろう?と行って来ました。

入るとすぐに、江戸時代の神輿が。これは写真を撮ってもいい、ということでした。梅の紋が屋根部分に付いているのが、天神様ですね。時代を経た渋い色合い。現在はお祭りには使用していないそうです。
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説明の方が、お神輿の中の天井にLEDライトを当ててくれました。梅の花の絵が浮かび上がります。中は十分に鮮やかな色が残っています。
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2階に上がると、後陽成天皇や後水尾天皇の書蹟(ご宸筆というそうです)や、天神様である菅原道真を描いた色々な掛け軸が、そのままむき出しで(!)ずらっと掛けられています。道真真筆の法華経巻の細かさには圧倒されます。太刀は飛鳥時代のものも。粟田口吉光もありました。

浮世絵は亀戸天神の参詣図や、境内の梅、藤の花と美人画など、24点が展示されています。江戸時代から名所として、沢山の人が参拝していたスポットの賑わいや、当時の亀戸天神の様子がよくわかります。今はコンクリートの階段付きになっている太鼓橋は、今よりも昔の橋のほうが傾斜が急に見えて、昇り降りが大変だったのではないかしら、と思ったり。

展示会場はそれほど大きくありませんが、これを無料で見せてもらえるのは太っ腹ですね。特別宝物展は、10月10~30日までやっているので、グッドタイミング!

緑ゆたかな旧中川をのんびり眺め、
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スカイツリーに向かって行った後は、
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船は横十間川の天神橋船着場に向かいます。降りて数分の天神様にお参りして、船橋屋の葛餅をお土産に、なーんて楽しみ方が出来る数日間。お天気に恵まれることを願っています。
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