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Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
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02月02日(木)

形だけ覚えてもだめよね、マナーって。

NPO法人「日本人のアイデンティティをはぐくむ会・紫薫子の会」の代表理事で、日本舞踊家の花柳廸薫さんの、「日本文化に基づくマナーセミナー」に初めて参加しました。今回は和食のマナー。お箸の使い方や、魚の食べ方など、親に言われたり本で読んだり、断片的な知識を確かめたいな、ということで行ってみました。

今日は頂く前の心構え。きちんとした料亭や割烹に行く時に、どんなことに気をつけるか、グループに分かれてまずはリストアップしていきます。各グループ、それぞれ似たようなことが挙がりました。

・お座敷に上がる場合、靴は中敷も含めてキレイでないと恥ずかしいし、靴下やストッキングに穴が
 あいていたりしたら、食事どころではない。
・時間に遅れないように、所要時間や場所の下調べ。
・室内に飾ってあるかもしれない掛け軸やお花、出てくる料理の素材を愛でられるように、季節の
 草花や旬の食材のことを知っていたほうがよい。
・お店の雰囲気や格に合わせた服装を心掛ける。ミニスカート厳禁。
・ご招待の場合、お店の情報を調べて、見合ったお返しの品を用意するなり、後で送るなりする。

こうした事は、色々思いつくのですが、廸薫さん曰く「思いつくということは、皆さんの心の中にあること。ただそれを実行しているかどうか?」そう言われると、してないこともあるなぁ、と。若い頃には随分と失礼な失敗をしたことも思い出しました。

基本は、誘ってくださった方や周囲の方に迷惑をかけたり、恥をかかせるような振る舞いをしないこと。そして何より「調和」が大事です。目立つことがいいことではない場合もありますよね。

忘れがちな事として、香水はなるべくつけない(つけるなら踝や膝の裏、スカートの裾)、髪をまとめる(私はショートなので適用外!)等の指摘もありました。

常備しておくと良いのは、懐紙、ぽち袋、風呂敷、そしてストッキングは破れるものと思って予備を。魚の骨などを懐紙で隠すというのはなかなか慣れていないとできません。お箸でつまんだものを手で受けながら食べる人を見ますが、これはマナー違反。その替わりに器を持ち上げるのが通常ですが、器が重かったり、取り分ける形式で距離が遠い時には、懐紙で受けるのだそうです。

廸薫さんが嘆いていたのは、居酒屋文化の隆盛によって、旬の食材や器が食事の話題の中心になることが少なくなった、ということ。確かに、お店にもよりますが、素敵な器の居酒屋って少ないし、どうしても話題が仕事中心になったり、場を盛り上げるための与太話に偏りがちです。それはそれで楽しいけれど、良い器が出てくることも、ありがたいもてなしの一つ。その心遣いに応えるのもお店と良い関係を築いたり、連れて来てくれた人への感謝の気持ちを表すことに繋がりますよね。

掛け軸や花に言及するときに、俳句の季語を学んでおくとよい、と教わりました。確かに、現代の日本語の語彙には出てこない、美しくて粋な言葉が出ていたりします。さっそくアマゾンで注文。

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(2006/04/20)
坪内 稔典

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和食のマナーといっても、場に溶け込むことや、季節感を大切にすること、同席する方への心配りなど、礼儀作法全般に関わっているなあ、とあらためて感心。○○を××しなければいけない、という表面的な形を覚えても、礼を失しない振る舞いをしよう、という気持ちがなければ身に付きません。なぜその形になっているのか、なぜそうするのか、人が何かを身に付ける過程で必要な道理は色々な所で生きているのですね!
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02月04日(土)

大規模なレトロ建築が集まってるのは、さすが港ヨコハマ

1月に横浜に船を見に行った後、横浜港クルーズをしたことを1月14日の記事に書きました。その後、古い建物ウォッチングをしたのを、すぐ書くつもりでいたのに忘れていました。

さて、船を降りて向かったのは赤レンガ倉庫。臨港鉄道だった、山下臨港線の跡が歩道になっています。当時の鉄橋。
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橋の上には線路も残っていていい感じです。

有名な赤レンガ倉庫は、明治~大正期の保税倉庫。日本橋をデザインした妻木頼黄がここも設計していたのは初めて知りました。
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横浜以外にも、函館や神戸などもレンガ倉庫をリノベーションして商業施設にしていますね。歴史ある港には赤レンガ倉庫あり。当時は他に丈夫な建築資材がなかった事もあるでしょうが、港町に情趣を添えていますよね。

赤レンガ倉庫から、横浜税関へ。バスで前を何回か通っていたのですが、りっぱな玄関とタワーが気になっていました。
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アラブ建築風のデザインが面白いです。昭和9年にできた建物。設計は、国会議事堂を設計した吉武東里と言われているそうです。
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資料館の入館時間を過ぎていたので中に入れず残念。正面玄関でファサードの写真を撮っていたら、中にいる警備員さんから厳しい視線を浴びてしまいました。
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さて、すぐ目の前にこれまた威容を見せている神奈川県庁。洋風の意匠に和風の塔を載く、帝冠様式です。設計は公募したそうです。昭和3年の建物。
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タイル装飾が美しいです。でも、なんで矢印模様なんだろう??
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入口のところにある灯り。アールデコしてますね。イチョウの葉の形に模様が抜かれています。
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最後は横浜市開港記念会館。市民の寄付によって大正6年に建てられたものだそうです。関東大震災で被災したものを復旧したのが昭和2年。ファサードの屋根の曲線にちょっとアールヌーボーの香りを感じます。
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後で知ったのですが、神奈川県庁の塔がキング、税関の塔がクイーン、開港記念会館の塔がジャックだそうで、これらを横浜三塔と呼んでいる由。それにしても、こんな歴史ある建物に勤務できる人っていいなあ、と思います。管理や設備の苦労はたぶん色々あるのだと思いますが、どっしりとした石の階段や、長い間、人の手にが触れることで、ちょっとすべっとした手すりやドアノブなどに日常的に触れることが羨ましいです。落ち着いて仕事ができそうな感じもするし、毎日美しいデザインが傍にあることが精神的に良い影響を与えてくれそうで。

他にもこの界隈には、ちょっと気になるレトロ建築が街角に色んな顔を見せていました。またゆっくり歩きたいですね。
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02月10日(金)

出張でも寄り道したっていいじゃない?

和歌山に船を見に行くことになり、前泊がてら、和歌山を少し観光。古い町並み歩きが好きな私は湯浅を選びました。ここは醤油発祥の地と言われ、
こんなお店や


こんな看板など、


往時の名残が残っています。古い家々の前には、骨董の簪や櫛などを小さな額に入れて飾っており、訪れる者の目を楽しませてくれるおもてなし。



虫籠窓のある家も、結構ありました。


ここには、角長さんという、天保年間の蔵で今も木樽で手作りしている醤油屋さんがあります。資料館で醤油のお勉強。醤油は、大豆、小麦、塩、水で作るのが、本当の醤油。大豆が旨味の元、小麦が香りの元だそうです。

通常は、圧搾して火入れをしますが、それをしない、珍しいピュアな生の醤油、濁り醤をお土産にしました。深みがあってすごく美味しいです!

蔵の裏側には堀があり、直接船に積んで出荷していた様子が目に浮かびます。


他にも銭湯を改造した古民具資料館、
甚風呂や、細い路地など、小さいながら魅力溢れる街、湯浅。

夜は船のある造船所から1時間ほど山に入った、龍神温泉に宿泊。昨年の台風12号の爪痕が至る所に残っています。土砂で流れの変わってしまった川、木がなぎ倒されて坊主になっている土手など。でも道路は一部片側交互通行箇所はあるものの、復旧しており、問題ありません。

お湯はアルカリ成分が高く、肌がスベスベになる素晴らしい温泉。足を入れた瞬間、お湯の当たりの柔らかさに驚愕。この温泉水を毎日付けていたら、すごい美肌になりそう。

あー、寄り道って楽しいですね~。
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02月15日(水)

南三陸町ボランティアツアー(1) 町によって被災状況は違う

時間の取れるいまのうちに、もう少しやっておこうかな、と先週末2泊3日で、宮城県南三陸町へボランティアツアーに行きました。主催はNPO法人バタフライエフェクト。「バタフライ効果」とは、「蝶の羽ばたきのような微かな出来事が、やがて大きな事象となり影響を強めていく」という意味があるそうです。

この団体のツアーを選んだ理由は3つ。
・夜行バスではなかった。⇒腰痛持ちには夜行がつらく、着いてからの作業で身体が動かないと困る。
・被災した方のお話を伺ったり、町の方に被災箇所をガイドしてもらうプログラムがあった。
 ⇒実際に体験した方から直接お話を聞きたかった。
・ボランティア活動のメインは漁業支援だった。
 ⇒とーちゃんの実家の親戚が漁師で、帰省の折にコンブ漁を手伝うなど、漁業が身近で思い入れがある。
そして、これに参加して本当によかった、と思いました。

参加者は色々なところから来ていて、島根、鹿児島の屋久島、岐阜、兵庫、はてはオーストラリアからも。首都圏以外の方は、前泊、後泊を余儀なくされる日程にもかかわらず、遠くからの参加に頭が下がります。

初日の午後、南三陸町に到着。町の中心部に近づくにつれ、撤去されてまとめられた瓦礫の山や、原型を留めぬほどひしゃげた車の山が見えてきて、言葉を失います。先日訪れた山元町でも見たけれど、何度見ても胸がズキッとします。バスの車内にも緊張感が走っているのがわかります。

津波襲来の瞬間まで避難を呼びかけ続けた女性、遠藤さんのことで有名になった、防災庁舎。花や折鶴が手向けてありました。
写真 12-02-10 15 38 05

この屋上を超える津波が来た際、波を背中で受けたひとは、屋上の柵に身体を押し付けられて、柵を掴めたので助かったそうです。前から受けた人はそのまま飛んでしまい、流されていった由。こういう所にも運命の分かれ目があったのですね。この庁舎だけで33人ほどが亡くなられており、南三陸町の将来を担っていく、若手の職員の方の命が沢山失われたことが、町にとっては痛手になっているそうです。

場所を移して、山のほうにある、さんさん館という廃校の小学校を改造した宿のホールで、語り部の方のお話を聞きます。津波の前に潮が引いて、海底が見えたので高台に避難し、自分の家が流れて行くのを見守ったこと。「おめぇの家さ、どこ行ったんだべ?」「さぁ、今頃ハワイかカリフォルニアでねぇが?」と最近は言えるようになったそうです。

南三陸町や女川町などの小さい町が他と違うのは、官公庁、お店など重要なインフラが全て流された、ということ。買い物をするところもなく、プレハブのコンビニが今ははやっている由。電気や水道が使えるようになったのは8月末で、それまでは昭和30年代の暮らしで乗り切ったそうです。

ずしっと来た言葉。涙が出てしまいました。
「津波は全てを流したけれど、人間関係だけは流さなかった。生きてて良かったな、と言ってくれて遠くから訪ねてくれる人達がいる。私達は、これだけの犠牲を払って気づきを得たんです。本当の幸せは何かということを。私達は、こういう地震に見舞われる国に住んでいるということを。」

つらい体験をこうしてシェアしてくださったことに感謝すると同時に、話を聞いた者の使命はこれを語り伝えることだ、という気持ちになりました。

宿泊先は、地元の民宿、漁家民宿やすらぎ。8月末まで、避難所になっていました。津波を辛くも逃れたそうです。
写真 12-02-12 13 29 46

「震災で大したものが出せないけど、なるべく地の物を使ってるのよ」とお母さん。南三陸で取れる魚の焼き魚や、わかめなどが美味しいです。お米も宮城のひとめぼれ。翌日はワカメ養殖の補助作業ボランティア。これは次回書きます。
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02月17日(金)

南三陸町ボランティアツアー(2)人手が必要だ!

2日目は、ワカメ養殖の補助作業。昨年11~12月に種を付けたワカメの刈り取りが、2~4月に行われます。今日は、刈り取って茹でた塩蔵ワカメの芯取り作業のお手伝い。

カゴ一杯のワカメを作業台にあけ、頭を揃え、両手で持てるぐらいの量をワカメの茎で一まとめに結んで行きます。浜のプレハブ小屋の中は、磯の香りが漂います。
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この作業が終わったら、今度は芯取り。芯とはワカメの茎のことで、茎と葉っぱを分ける作業。漁師さんに指導して頂いて、茎をしごくようにして葉っぱと分けて行きます。コツをつかむと、スピードはかなわないけれど、意外とキレイに芯が取れます。根に近いほうにある小さな葉は、「もとっぱ」といい、海草サラダの元になるそうです。葉先は栄養が行っておらず色が薄かったりするので、その部分は取ってしまいます。

震災前は、芯取り用の機械を使っていたそうですが、津波で浜の作業場にあった機械は全部流されたとのこと。高価な機械なので、そうそう購入もできず、今はこうした作業にも人手がいるのです。南三陸町は、ワカメのシェアも品質も日本一だったということで、町の漁業の基幹。かつての状態との大きな落差の中、震災前の1割しかない船で、養殖を再開しています。私が言うのもおこがましいですが、ワカメ養殖の再開は、一つの希望の光に思えます。

コンクリートの床は底冷えがしましたが、浜風をしのげるプレハブの中、重たいものを持つこともなかったので、それほど体力を消耗しませんでした。グループのうち2名の方は、ホタテ養殖用に、ロープにピンを刺す作業をしていました。

夜は、食事の後、地元の方の撮ったビデオを見せて頂きました。ニュース報道と違い、撮影者の声や息遣いなどが入っているので、臨場感があります。そして津波の勢いの恐ろしさも十分伝わる内容で、息が詰まりそうになりました。

また、避難所だった時の民宿の様子をお母さんが話してくれます。道路が寸断されて孤立し、支援物資がなかなか届かなかったこと。民宿なのに、ちょうどお米が切れていて、避難者に食べさせてあげられず、本当に情けなかったこと。地震発生後3日間、すぐそばの小学校に通っているお孫さんと連絡が取れなかったこと。庭に井戸を掘って使っていたので、水に関しては救われたこと。トイレが水栓でなく、ぽっとん便所だったので助かったこと、等々。非常時に使えるのは、アナログ、ローテクなんですね。

3日目は、あいにくの雪。沢のほうにある瓦礫の撤去作業です。日中も0度以下の気温なので、土が凍っており、見えていてもとれないものが随分あるのが残念。流れ着いているのは、生活材もありましたが、木にひっかかっている網やロープ、カゴなど、漁具が随分ありました。漁具は、直して再利用するそうです。

1時間ちょっと、20名程度で作業しただけでも、ひと山できるほど、まだまだ片付いていない所があるわけです。土の凍結が解け、土を被っていて見えないところまで掘り出すと、これの何倍にもなりそうです。
写真 12-02-12 10 26 55

この後、前夜見せていただいたビデオに写っていた、伊里前(いさとまえ)集落に案内して頂きました。その部分は次回に回します。



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