◆お知らせ◆
舟遊びみづはウェブサイト
http://www.funaasobi-mizuha.jp/
茶色白抜きロゴ

◇Twitterアカウント◇
@riverboatmizuha

◇舟遊びみづは Facebookページ◇

舟遊びみづは Riverboat Mizuha



プロフィール

Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
http://www.funaasobi-mizuha.jp/
ツイッターでもつぶやいてます:@mihobjm

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新トラックバック
検索フォーム
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

--月--日(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
06月07日(金)

粋な纏とイナセなお兄さんを沢山見られる日

先月5月25日は、江戸消防殉職者慰霊祭でした。わが身を投げ打って消火活動に殉じた江戸時代~現代の火消し・消防士の方々の霊を慰める行事です。曜日に関係なく、毎年5月25日と決まっているのだそうです。

江戸時代の町火消しは、鳶の人達が担っていました。というのも、木造家屋ばかりの江戸時代、火事は水をかけても間に合わないくらい、火の回りが速かったので、当時の消防は家を壊して類焼を防ぐのが主流でした。そうなると、家の柱の接合部のどこを外せばうまく家がか壊れるかを知っている鳶の人達が適任だったのですね。

今、習っている木遣りは、鳶頭Fさんに教えてもらっています。慰霊祭の行列の時には木遣りが歌われるということで、木遣り倶楽部のメンバーで見学に行くことになりました。場所は浅草の浅草寺。

雷門の前の交差点には、既に鳶装束の男性がわらわらと集結していました。浅草を訪れている外国人の皆さんも「なんだこれは?」と興味津々の様子でした。写真で見えている赤い筋の入った半纏を着ているのは、各組の役付きの方々です。小頭以上は半纏に赤い筋が入り、背中に自分が属する組の番号が入ります。
fc2blog_20130606023204d48.jpg

まずは仲見世通りを浅草寺まで行列が進みます。提灯下では纏を下ろし、くぐったらサッと上げていました。その手捌きがピシッとしていてカッコいいんです~。


梯子や鳶口を持った人が続きます。


境内に入ると、木遣りが始まります。「真鶴」と「手古」が歌われました。思わず口ずさんでしまいます。半年ちょっと前には、聴いても意味も歌詞もわからなかった木遣り、今では少し鳶の伝統がわかるようになって来ました。

纏も振り始めます。ヒラヒラしたイカの足みたいなのは、バレンと言い、頭いわく「バレンが水平にキレイに広がるのが、纏振りが上手い奴」なんだそうです。重さは20キロもあるのでこれを振り続けるのは体力いりますね。


境内の後ろの広場で大きな円陣を組むように纏が並びます。その数87本。全部形が違って、それらを見るのも楽しいです。


そして、股引・腹掛・半纏の男達が千人ぐらいはいたでしょうか?殆どが角刈りや坊主頭。壮観です。


こちらは「め組の喧嘩」で有名な、め組の纏。籠目八つ花形という形だそうで、かなり特徴があります。


半纏帯の後ろに鉢巻用の手ぬぐいを挟んでいたり、根付で煙草入れをかけたり、後姿も決まってます!ちなみにこの白い線の数で、何区かがわかります。この方は六区ですね。○○区×番組という組織編制になってます。
 

慰霊祭自体は、お坊さんのグループが入場し、江戸消防記念会の顧問の議員さん等来賓挨拶の後、消防庁の方、消防記念会とご縁のある企業の方、遺族代表の方などが、次々とお焼香をするのが1時間弱。

その後、纏が浅草寺の本堂を一周します。頭が「×番組のあの人は上手いね」と教えてくれるので、そういう纏の動きを注目して見ていると、上下動と回転にきちんとしたリズムがあって、バレンの広がり方と閉じ方が揃っていてキレイ且つ華があるのです。この時も木遣りが歌われました。


そして見物人の多くが待っていた、梯子乗り。梯子を立て、四方八方から鳶口を掛けて引っ張ることで、梯子の安定を保っています。身軽に梯子を駆け上って行く若手の鳶の皆さん。梯子が何本も立っていて、バックには浅草寺の五重塔があり、上空だけ見ていると、江戸時代にタイムスリップしたみたいです。


こういう大技もありました。
 

木遣りは、そんなに沢山聴けなかったけれど、江戸火消しの伝統を今に伝えるこの行事、イナセな雰囲気をひしひしと感じる時間でした。纏の形も一つ一つ面白くて、しかも沢山見られるので、アート系の人はインスパイアされるものがあるかもしれません。思ったよりも空いてるし、無料だし、一見の価値があると思います!
スポンサーサイト
 
05月08日(水)

戦後初の善光寺出開帳@両国回向院

「牛に引かれて善光寺参り」という諺にも出てくる長野県の善光寺。江戸時代に建てられた総檜皮葺きの立派な本堂の威容が印象的ですね。スキーの時など、今までに三度訪れたことがあります。

その善光寺の仏様が、宝物と共に出張して来る出開帳(でがいちょう)が、両国の回向院にて5月19日まで行われているので、行ってきました。普段善光寺に行っても見ることのできないものが来ています。東日本大震災の「復幸支縁」として、収益の全額を被災地支援に充てるということで企画されました。


出開帳は、江戸時代にはあちこちで行われたようですが、1778年に回向院で行われた善光寺出開帳は、特に賑わったそうで、60日間で1603万人!も参詣したそうです。仏様のほうからわざわざ出向いてくださるとは、こんな有難いことはない、ということで善男善女が集った由。浄財で、伽藍の建造も出来るし、出向いた先の人は喜ぶし、お互いにハッピーな催しだったようですね。

参拝料は千円、お戒壇めぐりは500円。


回向柱、というこの柱、頭のほうに綱がありますが、これが仏様と結ばれており、柱に触れる=仏様に触れるのと同じだそうです。通常は、長野の松代町から柱が奉納されるのですが、今回は陸前高田市の杉を使っています。


ご本尊は秘仏で、善光寺でも公開されず、7年に1度の開帳では、分身の前立本尊が公開されるそうです。今回見られるのは、出開帳仏。中央が阿弥陀如来でした。撮影は禁止です。思ったより小さい仏様でしたが、心安らぐお顔をしていました。

モダンな建築の念仏堂の2階。スワロフスキーのクリスタルの念珠が何本も下がっています。


この念珠の大きい珠をよく見ると、仏様の姿が刻んであります。全部違う仏様だそうです。


この念仏堂2階には、津波の被害にあって、瓦礫や泥の中から掘り出された陸前高田の観音様2体も安置してあります。取れてしまった指先の修復跡がなんだか痛々しい感じで、お顔の優しさとの落差に胸が少し苦しくなります。犠牲者の供養のために、陸前高田の松で作られたお地蔵様もありました。この部屋の襖絵は千住博さんの滝をモチーフにした絵で、厳かな静けさと平安を感じる淡い青のグラデーションが素敵でした。ここも撮影できず残念。

本堂では、善光寺の宝物と、回向院にお墓があった鳥居清長の浮世絵の展示が。


山門にかけられていた「善光寺」の扁額、高村光雲の金剛力士像や、釈迦涅槃像などの仏像。皇女和宮のものと言われる嫁入り道具の蒔絵工芸品などが見られます。歌麿や写楽にも影響を与えたと言われる、元祖浮世絵美人画の名手鳥居清長の作品もゆっくり見られました。

最後はお戒壇めぐり。真っ暗な回廊に入り、手探りで仏様の真裏にある錠前を探して触れると、仏様との結縁(けちえん)が叶う、というもの。善光寺は本堂の裏から階段を下りて行き、もっと広い感じがしましたが、こちらは簡易的なものということもあり、すぐに終わってしまいました。でも錠前には触れることができましたよ。

さて、回向院といえば、ペットの供養のお寺として知られていますが、有名な人のお墓もあります。

浮世絵の展示があった鳥居清長のお墓は、過去帳に名前はあるものの、墓石は失われてしまったらしく、現在は顕彰碑があります。寄進者には、猿之助さんや玉三郎さんの名前もありました。


こちらは中村勘三郎のお墓。何代目の勘三郎かはわかりませんでした。昨年亡くなった勘三郎さんの菩提寺は、浅草の西徳寺。もう先代のお墓に入ったのでしょうか?納骨されたのかどうかわからなくて気になるところ。
竹本義太夫のお墓もあり、周りには人形浄瑠璃の太夫さんと思われる方々の名が刻まれた墓石が沢山ありました。


そして、江戸時代の義賊、鼠小僧のお墓。「鼠小僧っていたの?」という方も多いと思いますが、実在したそうです。武家屋敷に盗みに入り、貧しい人に分け与えたとか。勘三郎さんの鼠小僧を思い出しちゃいます。


他にも山東京伝のお墓や、勧進相撲の歴史をしのばせる力塚などもあり、石碑を色々見ているだけでも江戸の名残を感じられます。

回向院を出てちょっと行けばすぐに川。久しぶりの竪川です。この川は橋が低く、水深も浅いところがあるようで、私はまだ船で通ったことがありません。でも、タモリが「パルテノン神殿」と言ったこの高速の橋脚がずっと規則的に連なるサマは、心惹かれますね~。


江戸時代の出開帳の時は、両国橋を渡ったり、この竪川まで船で乗りつけて回向院に来た人が多かったんでしょうね。期間中にお練り法要やコンサート、落語やお能などのイベントもあるので、江戸の人の人気を博した出開帳参詣を疑似体験できるこの機会、なかなか無いことでもあり、少しでも沢山の人に楽しんでほしいなぁ、と思います。
 
09月21日(金)

こんな金魚の見せ方もあるのね。アートアクアリウム

9月になっても全然収まらぬ暑さに、涼を求めて日本橋のコレド室町にある日本橋三井ホールで開催中のアートアクアリウムに行ってきました。

フナが突然変異で赤くなったのがルーツと言われる金魚。江戸時代、当初は庭に池のある武家や豪商しか飼えない贅沢品だったそうですが、江戸後期に養殖技術や流通、飼育方法の発達で庶民に普及したそうです。タライや火鉢に水を張って涼を楽しむ小道具だったんですね。

会場には色んな金魚の水槽が並んでいます。ランチュウや出目金など、懐かしい金魚たち。こんな出目金もいるんですね。アニメ的な表情。
写真 12-08-23 16 39 18

金魚をアートとして見せる様々な仕掛け。これはレース越しに見る金魚。妖艶な感じが漂います。
写真 12-08-23 16 43 22

普通の和金も、このように暗闇にライトを当てると違うものに見えますね。
写真 12-08-23 16 46 47

会場はこんな感じで暗くしてあり、そこに色々な形の金魚の水槽がライトで浮かび上がる仕掛け。ライトも青、赤、緑などに変化して行きます。
写真 12-08-23 17 07 11 写真 12-08-23 16 44 16

こちらの金魚鉢は、イタリアのベネチアガラスメーカーとコラボしたものだそうです。
写真 12-08-23 16 42 42

泳ぐ鯉の影をプロジェクタで投影し、四季の映像と合わせた水中四季絵巻。
写真 12-08-23 16 52 20

屏風型の水槽に金魚を泳がせて、墨流しのようなイメージを投影させた屏風水槽はなかなか幽玄な感じ。
写真 12-08-23 16 59 49

水槽に万華鏡を仕込み、泳ぐ金魚が描く文様を見せるカレイドリウムも面白かったです。
写真 12-08-23 17 03 51

金魚の色や形が作り出す万華鏡。こんな風に見えました。
写真 12-08-23 16 57 22

金魚を、魚体の色や形の鑑賞というところから離れて、群れの作り出す美しさや、色・影・光で見せるという発想はスゴイなぁ、と思います。見せ方でこんなにも変わるんですもの。水族館の展示とは全く違うアート志向。

でもこんなに光を当てたり変えたりして、金魚にストレスは溜まらないのかな?とちょっと心配になりました。照度など考慮されているのだろうとは思いますが。

このアートアクアリウム、フラッシュを使わなければ撮影OKです。9月24日までやってます。もうあと数日ですが、夏の名残と、光と影の妙を楽しめますよ。
 
08月17日(金)

見てるだけでも気持ちよかった深川八幡祭り

最近は日曜日の日中に神田川クルーズを実施しています。この前の日曜日、8月12日は、深川の富岡八幡宮のお祭りで、お神輿の連合渡御が行われていました。クルーズのコースの途中、清洲橋や永代橋、日本橋川でも湊橋の上でお神輿が舞っているのを見て、お客様も大喜び。

隅田川をはさんで深川の向こう岸、箱崎や新川も富岡八幡宮の氏子。それで隅田川をお神輿が橋を渡って巡行するのです。ちなみに、江戸時代1807年には、お祭りに詰め掛けた群衆が多すぎて、橋が老朽化(メンテ不足)していたこともあり、永代橋が崩落して、1000人以上が死亡・行方不明となる事故が起きています。

せっかくなので、仕事帰りに深川へ寄ってみることにしました。3年に1度の本祭。本来は昨年のはずでしたが、震災の影響で今年に延期になったものです。ちゃんと見に行くのは今回が初めて。

さて、門前仲町駅を降りて永代通りへと上がります。このフォント(?)いいなぁ。
写真 12-08-12 15 11 09

さっそく三好二丁目のお神輿が。このお祭りの特徴は水掛け。真夏の熱中症対策にもぴったりですね。消防団がホースで放水するんですから豪快です。打ち水効果で、灼熱のアスファルトも表面温度が下がっています。
写真 12-08-12 14 46 01

大神輿は54基。子供神輿なども入れると120基以上出ていたそうです。
写真 12-08-12 15 24 50

次々とお神輿がやってきます。纏を振って登場する町も。このお祭りでは、担ぎの掛け声は「セイヤ!」「ソイヤ!」ではなく、伝統を守って「ワッショイ!」です。
写真 12-08-12 14 53 47 写真 12-08-12 14 54 01

バケツでの水掛けもガンガン!子供たちはわざわざ水をかぶりに行ってたり。
写真 12-08-12 14 55 13

掛けている人も、楽しそうです~。水掛けは誰がやってもいいそうで、自分のところのホースで水掛けをしている人も。水掛けが祭りの一体感を生んでいる感じがしました。
写真 12-08-12 15 20 26

お囃子の太鼓はお姐さん達が頑張っています。
写真 12-08-12 15 14 26 写真 12-08-12 15 15 10

路地へと入ると、担ぎ手さんのサポート隊も大忙しの様相。
写真 12-08-12 15 23 52

この日は、天皇皇后両陛下がいらしたそうで、富岡八幡宮の参道入り口に、観覧席が設けられていました。
自分の住んでいる街には、こんな威勢のよいお祭りはないので、羨ましかったです。江戸時代から続いてきたお祭りの伝統。老いも若きもこの一日を心から楽しもう!という高揚感が街に溢れていて、心のモヤモヤが吹っ飛ぶような、気持ちのよい夏祭りでした~。
 
06月08日(金)

日曜がクライマックスの、山王祭@日本橋

2年に1度の山王祭。江戸三大祭りの一つ。6月7日~17日まで行われます。日本橋でも準備が着々と進んでいたのを日々船着場から見ていました。

赤坂の日枝神社のお祭りなのに、どうして日本橋?それは、日枝神社の摂社が日本橋茅場町にあるからなのです。日枝神社は元々、川越の山王宮を勧請したそうで、川越から隅田川で御霊が運ばれた際、茅場町にまず着いたことから、お祭りのお神輿の御旅所となったそうです。日本橋で楽しめる山王祭は、金曜日の神幸祭と、日曜日の下町連合渡御。

船内で配布している「日本橋ごよみ」というタウンペーパーの6月号の表紙は、お祭りの準備全般に携わる町火消「ろ組」であり鳶の小頭の方の後ろ姿。


先日提灯櫓が日本橋たもとの滝の広場手前で組まれていた際、ご本人がいらっしゃいました。長身で粋な感じでカッコイイ方でした~。

10日の日曜日には、9時半に茅場町の摂社から宮出しが行われ、午後には京橋から日本橋まで、中央通りで下町連合の神輿12基の渡御があります。14時半~15時頃に日本橋の中央の道路元標まで来るそうです。

(山王祭冊子より)

当日は、人だかりで船着場の存在は掻き消えてしまい、船に乗る人は少ないかもしれませんが、お祭りの勢いや華やぎで包まれる日本橋の雰囲気を楽しみたいと思います!
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。