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Miho Sato

Author:Miho Sato
「舟遊び みづは」運営主体の、株式会社フローティングライフ代表取締役。
江戸の人が遺してくれた東京の水辺は貴重な財産。数名で貸し切れて、江戸工芸に触れて楽しみながら、ゆったりと江戸の粋や情緒、名橋の数々を満喫できる舟遊びを提供します。
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08月18日(日)

マリンスポーツの草分けの人たちと出会って

昨日は、みづはを置いているマリーナの30周年記念のイベントがあり、メンバーとしてだけでなく、クルージングイベントのガイドのお手伝いもあって参加してきました。南風がきつかったので、コースを変更し、マリーナから東雲運河を抜けてレインボーブリッジ、晴海埠頭から豊洲を通って戻る1時間程度のコースを3回。


天気も良く、水遊び日和ということもあり、運河には水上バイクやウェイクボードのモーターボートなどが結構出ていました。

夕方からはビアパーティ。チキンやスペアリブのBBQや枝豆、焼きそばなどをツマミに夕涼みをしながらビールをゴクゴク。


イベントやパーティ自体も楽しいものでしたが、マリンの世界に長くいる方達のお話が面白かったです。1960~70年代の頃学生で、ヨットやサーフィンの草創期にマリンスポーツを始めた方達。小中学生のころ湘南の海で遊んでいて、米軍のサーファーに「坊主、やってみるか?」と声をかけられてサーフィンを始めた、とか。たぶん日本で最初に水上バイクに乗ったのは俺だ、ウィンドサーフィンをやったのは僕だ、というような話とか。

当時は実業家や、日本駐在の外交官など、本当のお金持ちしかヨットやクルーザーを持っておらず、彼らは専任のクルーを雇っていたそうです。学生のアルバイトでクルーとして雇われて、海の上で何日も一緒に過ごし、スゴイ世界を見せてもらったり、男として、人間として大切なことを教わった、とか。

そして数人の方のお話を聞いてみると、皆、石原裕次郎はすごい人だった、と言うのです。元知事のお兄さんと違って(笑)、気さくでオープンで、威張らない、誰とでも分け隔てなく会話し、気前がいい。海の上では、芸能界の話はせず、船と海の話だけ。みづはを作ってくれた岡村造船の会長さんも石原裕次郎について同じようなことを言っていました。

私は「太陽のほえろ!」のボスのイメージしかなく、若い頃の石原裕次郎を知らないのですが、団塊の世代+αの方々にとっては、思い入れも違うし、憧れの存在だったことは間違いないようです。男が惚れる男、という感じなのでしょうか。

みづはは、川舟なので、こうした海のロマンに触れる機会は殆どないのですが、幸いマリーナにいると、いい色に日焼けした素敵なシニアの方々をお見かけします。気分だけでも味わえるのが、マリーナに係留しているメリットの一つかもしれません。
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02月24日(日)

1年ぶりの南三陸町ボランティア(3) 減っていく痕跡の中で

2日目、ワカメのお手伝いを終えた後、津波で破壊された歌津大橋に来ました。
震災で、沿岸は地盤沈下したこともあり、今後道路の嵩上げが計画される中、今の橋をそのまま補修することはなく、一旦取り壊すのだそうです。まもなく撤去されるので、痕跡が残っているうちに、と連れてきてくれました。
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この標識も横たえられたまま。
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今回のツアーの宿泊は、民宿高倉荘。お魚メインのお料理。食べきれないほどでした。煮付けの鰈やあいなめ、たら等はここの海のもの。震災後しばらく漁ができなかったので、魚は豊富に獲れるそうです。美味しく頂きました。
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食事の後は、津波をとらえたDVD映像を鑑賞。昨年見たのと同じものですが、再び心をえぐられるような感じ。でも、こうして思い出すことも大事ですね。これは日中に行った歌津大橋の手前の高台から撮影したものなので、特に初めての参加者は、今の状況と重ね合わせることが出来て良かったと思います。

鑑賞後、初参加の方々が感想を話したのですが、「あまりにも凄い光景で、逆に全然自分の事として捉えられない」「片付けられて、整地されて何も無くなった光景しか見ていなかったが、ここには人の暮らしがあったんだということを強く感じることができた」等、心からの言葉に涙が出てしまいます。今回は、高校3年生のMちゃんやお姉ちゃんの大学生Rちゃんを含め、若者達も参加していて、彼らの「帰ったら皆に伝えたい」という気持ちがとても頼もしかったです。自分の意思や考えをしっかり持っていて、日本の将来に希望を感じさせてくれる若者達に出会えて良かった~。

最終日の午前中は、再びワカメ小屋へ。前日に塩蔵したワカメの元葉を外して、芯抜きをし易いように並べる作業を行い終了。畠山さんご一家に「また来ます。」と言ってお別れしました。ワカメの葉、メカブ、茎をお土産に持たせてくださり、再び恐縮。

昼食のお弁当は、南三陸町の中でも奥にある集落、馬場中山地区の支援センターをお借りして食べさせてもらいました。
管理者の千葉さんのお話を少し伺いましたが、馬場中山は震災直後に支援の手がなかなか届かず、孤立して大変だったそうです。シカゴ在住の友人Kさんが、一時帰国時に訪ねていたのが千葉さんだった事をFBの情報で後で知ってびっくり!

南三陸町には、小さな浜集落が沢山海沿いにあり、沈下した入り江の修復もまだまだ行き渡らないようで、冠水対策の大型の土嚢があちこちで積まれています。津波で潰された車のスクラップの山も、まだそのままです。

そして町の中心、志津川地区へ再び。防災庁舎が冷え冷えとした風の渡る更地に残っていました。正面にはお花が供えられています。ここでお線香を捧げ、黙祷。昨年より少し落ち着いた気持ちで眺めることが出来ましたが、曲がった鉄骨の向きで、津波の力の方向がわかるなど、よく見ると益々自然の力の強大さを感じます。
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ここには、観光バスで訪れる人もだいぶ増えてきたそうで、私達が訪ねた時も、団体ツアーが来ていました。津波に流されずに残ったけれど、内部は破壊された病院や公共の建物はどんどん取り壊され、昨年残っていた家の土台もだいぶ取り除かれて、更地になってきています。この防災庁舎、一旦は町議会で取り壊しが決まったようですが、震災の記憶をとどめ、後世につたえる為に残すべきだ、という人も多く、まだ結論は出ていないそうです。遺族の中でも、残して欲しいという人、反対の人、様々な意見があるようです。

50年後、100年後、ここで何が起こったのかを体現するものが残っていたほうがいいのではないか?例えば原爆ドームがあるから、原爆の恐ろしさが伝わるように…。と外野である私などは思ってしまいますが、恐怖と悲しみの象徴でもあるこの建造物への思いは、被災された方それぞれで違うわけですから、難しいですね。ただ、残すにしても、海水を被り、遮るもののないこの場所で日々潮風にさらされる鉄骨の建物は、結論が出ないまま補強もせずに放っておくと崩れてしまうかもしれません。

出発前に、さんさん商店街で、地元の産物をお買い物。昨年に比べ、笹かまや海苔などの水産加工品やお酒など、買えるものがすごく増えているのが嬉しくて、色々買ってしまいました。
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特に美味しかったのは、千葉のり店の「青まぜ」という海苔。青海苔と黒海苔を混ぜて漉いてある海苔で、今の時期しかないもの。香ばしさと磯の香りがご飯に合います!それと及善蒲鉾店。主力の笹かまも良いですが、志津川のタコが入った揚げボールがムッチリしていて、タコもたっぷりで美味しかったです。さっとあぶって頂きましたが、お醤油なしでOKでした。

次はいつ行けるかわかりませんが、ネットでも購入できるものもだいぶ出てきたので、気に入ったものを中心に、南三陸町の幸を楽しみたいですね。そしてもちろん、頂いたワカメはとても美味しかったです。メカブは納豆に混ぜたり、茎ワカメは酢の物にしたり。生産過程を知ることで、切れ端一つも無駄にしたくない、という気持ちになります。

震災から約2年。ゆっくりであっても、前にじわりじわりと進んでいる南三陸町の皆さんに触れ合えて、自分の来し方を反省したり、前向きな気持ちをもらえたり。これからもずっと小さな繋がりを持ち続けたいと思います。震災直後からずっと南三陸町と関わり、地元の方と関係を築いていらしたバタフライエフェクトのおかげで、今回も充実した旅でした。次はとーちゃんも一緒に参加したいですね。
 
02月23日(土)

1年ぶりの南三陸町ボランティア(2) ワカメの収穫

ツアー2日目。今日は一日ワカメの収穫作業。お天気は良いですが、気温は氷点下。外での作業もあるので、完全防寒で臨みます。年と共に寒がりになったし(笑)。
上半身:ヒートテック下着、ヒートテックシャツ2枚、フリース、薄手ダウン、防水ウィンドブレーカー、腰と心臓下にカイロ、ネックウォーマー、ニットキャップ、軍手、ゴム手
下半身:タイツ、レギンス、ハイソックス、スキーパンツ、防水ウィンドブレーカー、膝と足底にカイロ、長靴
こうやって挙げてみると、相当着てますね。ババくさ~。でも、冷えは女の大敵ですから。

寄木地区の漁師さん、畠山さんのところにお邪魔します。畠山さんと、お父さんとお母さんで作業をしていらっしゃいます。浜には、刈り取ったワカメのメカブが上がっています。長い茎から頭の部分を切り落とし、頭が大きいのと小さいのに分けて、メカブを茎から削ぐ作業を行いました。
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船に乗って、ワカメの養殖場所に連れて行ってもらいました。養殖ロープから海底に向かって、こんな風にワカメは育っているんですね。見えているのが根の部分。とーちゃんの実家の昆布と同じです。海の農業。
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今日の海は静かです。同じく養殖している牡蠣を上げてくれました。1つのロープに30~40個は付いているでしょうか。
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畠山さんのところは、ホタテ養殖もやっていたそうですが、ホタテは深さと重さもあるので、ワカメや牡蠣の養殖とは使う船が違い(クレーンが付いている?)、船が流されてしまった現在はまだ再開できない状況とのこと。船は注文しているそうですが、造船所が混んでいるので、まだしばらくかかるそうです。

浜に上がると、お母さん達がワカメの葉の部分を塩水で茹でています。まさに浜茹で。とてもキレイな清々しい緑色になります。水槽は2段になっており、下の水槽で茹で上がったワカメをさらしています。
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白い網の袋に入れられた茹でワカメは、別の水槽で塩蔵されます。パイプから出ているのは塩水。濃度が保てるように、大きな塩袋から塩を水に投入しています。一晩漬けて、翌日出荷用の作業をします。
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前日に漬けられたワカメ。先端の色の薄い、商品にならない部分を切り、根っこ側から15センチぐらいのところ(元葉=もとっぱ)を別にして、そこからワカメの芯(茎)と葉っぱを分ける芯抜き作業をします。これは昨年もやらせて頂いたので、やっているうちに手が思い出してきた感じ。
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お父さんとお母さんの馴れ初め話や、お孫さんの話を聞きながら、またメンバー同士で時折おしゃべりしながら、小屋の中で作業が進みます。

10時のおやつ。これは3日目に出してくださったものですが、とれたてのワカメと、お母さんが煮たかぼちゃや、茎ワカメの和え物。そして、蒸し牡蠣も。
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私達のような素人集団を受け入れて下さるだけでも大変なのに、貴重な商品でもてなして頂いて、本当にありがたいやら、申し訳ないやら。でもワカメは柔らかくて、海の香りが鼻に抜けるし、牡蠣はジューシーでぷっくらしていて、とっても美味しかったです!お母さんのかぼちゃの煮物は、甘さ抑え目でこれまた美味。茎ワカメは、サキイカと和えてありました。

小屋には冬の日差しが入り、薪ストーブもあって結構暖かかったです。途中で、男性は交代で薪割りもやりました。畠山さんご一家は、今は仮設住宅にいますが、当初は鳴子温泉の旅館に避難していたそうです。被災者用の料金だったとはいえ、長期滞在でだいぶお金もかかったとのこと。しかも何もすることがなく、テレビを見るだけ。温泉も飽きてしまった、とおっしゃっていました。お父さんの「やっぱり、こうやって仕事があるのがいいなぁ」という言葉がずしっと響きました。

今回は、出荷の梱包を除き、収穫してからの一連の流れを体験・見学できて、ワカメ一つ取っても人の口に入るまで様々な工程を経ていることを目の当たりに出来ました。ワカメはサラダやお味噌汁で食べるだけでなく、インスタントのスープやふりかけにも入っていたり、とても身近な食材です。特に意識せずとも口にしている食べ物。それが、どこで、誰によって、どんな風に作られているのか、都会の子供達にも知って欲しいなぁと思いました。過程や生産者が見えることが、食べ物を大切にする心に繋がると思うし。

これから4月の終わりぐらいまで、ワカメの収穫は最盛期を迎えます。今日も浜で畠山さん達はワカメの山と格闘しているのでしょうね。昨年に比べて収穫量が増え、牡蠣も取れるようになったのは本当に良かったと思います。震災前の状態に戻るにはまだ時間はかかるし、多くのつらい気持ちを乗り越えたり、抑えたりしながらの毎日なのかもしれません。けれど、自分の生業である漁業を再開して、ゆっくりでも失われたものを取り戻しつつある状況を知ることが出来て、少し暖かな気持ちになれました。
 
02月22日(金)

1年ぶりの南三陸町ボランティア(1) 椿の道

2月中旬、1年ぶりにNPO法人バタフライエフェクト主催の漁業支援ボランティアツアーに参加しました。仕事が閑散期ということと、あれからどんな変化が南三陸に起こっているのかをこの目で見たくて。メンバーは15名、昨年の同時期よりも減っていて、やはり関心が薄れてきているのかも。8割程度がリピーターです。前回ご一緒してお友達になった、Yさんは5回目の参加!

昨年もブログに書きましたが、このツアーでは、ボランティア作業だけでなく、被災した方のお話を伺うことができます。今回最初に訪問したのは、南三陸町の山側の隣町、登米市(とめ)の仮設住宅集会所。主に高齢のお母さんがたが、集まって復興グッズなどを作っています。この日は魚の鰈の形の、フェルトのコースターに刺繍をしていらっしゃいました。切り紙細工などもやっているそうです。
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その横にお邪魔させて頂き、お話を伺います。「南三陸に帰ってもどうせ一人だし、このまま仮設の暮らしのほうが、スーパーも近くて、雪かきも玄関先だけで済んで、楽なの。」「お父さんは、波に持っていかれたの。」身内の方を亡くされた方から直接お話を聞くのは初めてだったのもあり、言葉に詰まってしまい、曖昧な反応になってしまいました。

皆さんと、郷土のおやつでお茶を頂いたあとは、南三陸の上山八幡宮の禰宜(宮司さんの補助役)を務める工藤真弓さんからもお話を伺う事ができました。工藤さんは、五行歌詩人でもあり、南三陸町のベイサイドアリーナにも、被災直後に書いた詩が飾られています。

工藤さんは復興まちづくり推進員もなさっていて、復興の状況についても話をしてくれました。既に高台移転を前提に復興の計画が進んでいますが、高齢の方に街づくりに対する関心やモチベーションを維持してもらう事の難しさを感じているそうです。

そんな中、津波に遭っても根が横に生えているので抜けにくく、塩害に強い椿のことをあるお年寄りが語ってくれて、町に戻ってみると、確かに自生している椿は波をかぶっていても震災の年も芽を出し、花をつけていた由。後世の人に伝えるために、津波が到達したところに椿を植えて、避難路を示すのはどうか?という計画が進み始めています。その際に、仮設住宅の高齢者の方にも、どこに椿を植えたらいいか、模型にピンを刺してもらうワークショップなどを行い、街づくりの疑似体験を通じて自分ごととして捉えてもらえるような試みをしているとのこと。

ちなみに椿は、長崎の五島が有名で、苗木などはその地の方々の協力を得られる予定だそうです。具体化したら、私も是非苗木をプレゼントしたいなぁ。椿の道が命を救う道になるんですものね。

工藤さん一家は皆さんご無事だったのですが、お宅は津波で流されはしなかったものの、家に、津波で流された他の家が突っ込んで、住めなくなったそうです。工藤さんには、ゆうすけ君という男の子がいて、被災後の日々の中で、子供の視点で被災をどう捉えていたかを話して下さったのですが、ハッとする言葉が幾つもありました。

例えば、家を取り壊した時、工藤さんが「瓦礫になっちゃったね」と言うと、「瓦礫って言わないで!ゆうすけのおうちって言って!」と叫んだり、南三陸町に車で入った時に、「壊れちゃったけど、あるよね、僕のふるさと」とポツリと言葉が出てきたり。

工藤さんはそう言われて、「ああ、そうだ。ここには海も山も空も変わらずにある。大人は目の前に見えるものに支配されて全て失った、と思ってしまうけれど、子供は本質を見ている」と感じた由。震災の体験や、ゆうすけ君の言葉を紡いだ紙芝居を最後にしてくれました。これは、絵本にもなっています。

つなみのえほん―ぼくのふるさとつなみのえほん―ぼくのふるさと
(2012/05/25)
くどう まゆみ

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子供を家に残して買い物に出た先で地震に見舞われ、ドキドキしながら急いで帰宅して高台に避難した当日の様子や、自宅に戻った時の光景などが、優しいタッチの絵と五行歌を中心とした詩句で綴られています。涙は出るんだけど、希望も感じる内容です。

「震災がなければ出会うことはなかったかもしれない人と出会っている。皆さんもそうです。」という工藤さんの言葉。そうですね、確かに、震災がなかったら、南三陸町に来ることはなかったかもしれないし、仮に観光旅行で来たとしても、こういう形で出会うことは考えにくい。しかも1年の間に南三陸町に2度来ることはなかったかもしれない。これも縁なんですよね。

震災は多くのものを奪ったけれど、別の形で与えられたものもある。なんだか不思議な気持ちを抱えながら南三陸町の宿に向かいました。
 
11月09日(金)

秋でも真冬支度の船の上

よく船では「夏でも冬支度」と言われます。暑いな~と思っていても、曇ったり、風が強かったり、体が水に濡れたりすると体が冷えるもので、急な天候の変化も考えて、服装の油断がないように、ということです。

11月に入って、船上の風がだんだん冷たく感じられるようになりました。お客様は30~70分程度のクルーズなので、ひざ掛け毛布など肌寒さをしのげますが、こちらは半日以上水の上で寒風にさらされます。ということで、見た目は紺のコットンのパンツに白いワイシャツですが、中はしっかり着ています。

ヒートテックという安価、スリムフィット、高機能の下着が出てくれたので大助かり。すでに長袖のヒートテックを2枚重ね着。足も、最近はレギンスなどという言葉でカムフラージュされていますが、ぶっちゃけ股引ですね。これももう履いています。そしてヒートテックのハイソックス。これでウィンドブレーカーを着れば結構暖かいです。

2,3年前までは、「絶対ババシャツなんか着ない!」とイキがっていたのに、今やヒートテック無しでは生きられない体になってしまいましたw。冷えは女性の大敵。更年期も近づき、ただでさえ体の変調を迎えているのに、カッコつけて無理をしてはネガティブな影響が、後々体に出そうですからね。

接客の上でも、自分の寒さには構っていられません。自分の体が寒くて固まっていると、船上でとっさに体が動かなかったり、お客様への笑顔もこわばってしまいます。寒さで紫色になった唇から「ありがどうございました~」と言われてもねぇ。。。

いちおうヒートテックの袖がワイシャツの袖口から見えないようにちょっと袖をまくったり、首に巻いたスカーフで丸首が見えたりしないように気をつけていますが、「秋でも真冬支度」の態勢です。これからもっと寒くなると、「東京でも北海道の冬支度」ぐらいな防寒になるのでしょう。カイロも欠かせなくなりそうです。

これを読んで船に来た方は、「そうかあ、股引履いてるんだ~」という想像はなさらないようにお願いします~(笑)そろそろ紅葉の始まる神田川の景色に集中してくださいね!
 
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